イングリッシュブートキャンプ:由美です。
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学歴社会というと、なんとなく日本はごりごりの学歴社会で、アメリカはそうではない、
というように思われている節が、ある気がします。
アメリカは実力主義で、日本は学歴社会。
そんな風に思っている人も、少なくないのでは?
実際のところ、日本は学歴社会でしょうか。
もちろん、イエスだと思います。
常識的に考えて、学歴を重視しない国家や社会なんて、ないですよね?
もしそんな社会があれば、誰も高等教育を受けようと思わないですし、大学にも行きません。
そうなれば、進歩というものが望めなくなり、国家は衰退の一途をたどります。
日本も当然のことながら、学歴を重視する国であると言えます。
ただ、アメリカのほうがもっとずっと、シビアに学歴がものを言います。
アメリカは、学歴社会であると同時に、その上さらに実力主義なんです。
日本は、学歴さえあればOKというところが、強いですよね。
多少乱暴な言い方をするなら、若いころ、それも十代の思春期です。
その頃にがむしゃらに勉強して好成績をおさめ、偏差値の高い高校に進学し、
有名大学に入学さえすれば、19歳からあとの人生は、ぼんやりしていてもある程度まで行ける。
日本の大学は、入ってさえしまえばよほどのことがない限り、みんな卒業できます。
景気が良かった頃(私が若かった頃 笑)は、有名大学卒の男子であれば、
みな一流と言われる大企業に、やすやすと就職できていました。
そして、終身雇用制度。
だから、多くの日本の親が、子供に勉強しろ、勉強しろと、言って育てていたのでしょうね。
それが、バブル崩壊とともに崩れてしまって、いま日本人は右往左往してるんだと思います。
良い大学を出たところで、就職できるとは限らない。
けれども、良い大学を出ていないと、さらに条件は悪くなる。
正直、日本がここまで停滞するとは、私も想像すらしていませんでした。
まあ、日本の経済停滞やそれにともなう諸問題については、ここでは置いておくとして。
学歴社会のお話です。
日本よりもアメリカのほうがずっと学歴社会だというのは、キャリアパスを見れば明らかです。
日本だと、営業の末端から売上成績を上げて這いあがり、支店長まで出世して、
その後中央に引っ張られ、役員まで行きました、なんて例が結構ありますね。
デパートなんかでも、高卒者と大卒者は最初は特に区別せず、同じような業務(店頭)につきます。
これは、アメリカではありえません。
末端の職員(営業や店頭販売員など)と、本部中枢にいる生え抜きとは、全く扱いが違います。
お給料は当然のことながら、キャリアパスも端から違う。
交わることなど、ないんですね。
そして、中枢にいる人たちの年収は、日本のサラリーマンのそれとは比べ物になりません。
日本は、叩き上げで出世する、という余地がある分、アメリカよりも学歴重視ではないんですね。
ただ、それでもまだ、アメリカのほうが通気性の大きい社会であると、私は思います。
それは、アメリカはやり直しの効く社会だからです。
日本は先ほども言いましたが、最初に勝ちぬけた人だけが、最後まで良い思いをできるような、
社会システムになっているんですね。
新卒しか取らないとか、新卒者はみな22歳とか23歳の若者たちだとか。
いまだに性差別がはびこっていたりとか。
アメリカは、確かに裕福で高校も有名私立校出身で、アイビーリーグの修士ホルダー、
なんてエリートもごろごろいますが、努力で這いあがってくる層も、いるのです。
そう言う人たちは、大人になってからもう一度大学に戻り学位を取り、奨学金制度を利用したり、
コツコツ働いて学費を貯めて、大学院に入り専門技術を習得して、キャリアアップします。
30代だろうが40代だろうが、アメリカにおいて年齢や性別は重要ではありません。
そうやって努力して学歴を付け、経験を積んできた人を、評価する社会なんですね。
日本にはこれが、大きく欠けている要素です。
30代でマスター保持者、しかも女性で子供がいる?
そんな面倒な人は雇いたくない、だったら新卒男子を取りたい、
というのが大半の日本企業のスタンスでしょう。
これだと、十代の一時期に要領よく勉強して受験を勝ち抜けてきた、一部の人間(男性)しか、
日の目を見ないことに、なってしまいます。
折しも、東京大学が推薦入試を始めたというので、話題になっていますね。
あの天下の東大が、推薦枠を作ったというのは、ある意味画期的なことだと思います。
個人的には、日本の大学が根本的な問題を解決せずに、推薦入試なんかやっても意味がない、
と私は思っていますが。
それでも、新しいことにチャレンジするのは、やらないよりはやったほうがいい。
やってダメだったら、また元に戻せばいいだけですから。
日本が、新卒一律採用を辞め、履歴書から生年月日や性別欄をなくす日が来れば、
初めてそこで、どん詰まりの今の状態を打破できると、私は思っています。
そして、敗者復活戦(敗者ではないのですが)を、いつでもどこでもできる社会になること。
努力した人、実力のある人が、活躍できる社会にすることが、大切なんじゃないでしょうか。
高学歴で実力のある人だけが成功する社会が、平等な社会なんです。
そこに年齢や性別は、関係ありません。
常に努力し続ける人だけが、成功を手にすることができる。
そうでないと、意味がありません。
人生、死ぬまで勉強です。
努力する人が報われますように。
そこに、年齢や性別、国籍といったバイアスが入らない、まっとうな社会になりますように。
そう願ってやみません。
アメリカ人にとって、ハーバードやスタンフォードに行く人たちのことは、「勉強好きの子達やの~」ぐらいの感覚があるのじゃないかな。ある意味で、オタク集団みたい。別に行かなくてもいい。
アメリカはなんだかんだいっても、階級社会ですよね。
エリートとそうでない人たちの間には、大きな壁がありますし、
それは当然のことだと考える。
でも、日本はどこか一億総中流っていうのが残ってる気がしますね。
ゆみさんのブログはいつも切れ味がよくて読んでいてためになります!
そしてたまに出てくる若かりしころの逸話。同じ世代として非常に懐かしいです!
さて、アメリカは学歴社会なんですね。でも会社を辞めてもそれを理由にして再就職ができないということがない点はすばらしい。日本の場合、転職といっても採用する側にとって、以前の会社の退職理由がよくなかったりあまり転職を繰り返す人ははじめから相手にしてません。そのあたりにとても閉鎖性を感じます。アメリカなんてIT業界の平均転職回数が8回と聞きました。日本じゃありえません!
ちなみにオーストラリアは意外と学歴社会ではありません。2人に1人は職業専門学校に行き専門分野で活躍しています。また性差別もあまりなく、むしろ女性の方が多く活躍しているようです。ここに来てオーストラリアは本当に再チャレンジできるチャンスの多い国なのだと痛感しています。
国が変わると本当にいろいろ違いますね!
オーストラリアもアメリカと同じで、よそから来た人たち(ヨーロッパ人)で作り上げた国家だからだと思います。
日本だと、北海道がそうですよね。
外から来た人たちで構成される社会って、風通しがいいんですよね。
私の知人(60代後半の女性)で北海道出身の人が、若い頃に集団就職で東京に出てきた頃、普通に煙草を吸ったら回りにドン引きされたそうです。
で、ドン引きされる理由がわからず、本州って性差別があるんだ、としみじみ思ったそうですよ。
学歴ついでに言えば、日本は学費無償が望ましいですね。
教育機関に入学したくても、学費が高すぎて、あきらめる人は多いと思います。
無償にできないなら、低学費か給付奨学金の拡充など、教育機会の均等は図られるべきかと。
日本は、アメリカと比べれば十分学費は安いと思います。
日本人のメンタリティーだと、学費無償はむしろ避けたほうがいいように思います。
試験を設けて、それをクリアした優秀な学生にのみ全額補償を与える、
生活費も与える、というアメリカ式を導入するのが望ましいのですが、
それをすると日本人の場合、嫉妬で炎上したりしますから、またやっかいなんですよ。
国民性って、制度によって変わるものじゃないですからね。