お知らせです
9月のブートキャンプビギナーコースは、定員いっぱいになったため、締切りました。
来月は、初中級コースのみの開講となります。
ビギナーコースに参加希望の方は、11月以降の日程が出るまで、今しばらくお待ちくださいませ
さて、今日(9月12日)は、TOEICの日でしたね。
私の知人も受験した人がたくさんいます。
生徒さんの中にも、受験した人が何人かいます。
試験って、疲れますよね。
それでもまだTOEICは2時間だからいいほうですね。
ケンブリッジ英検とか、あり得ない長さですから(苦笑)
英語(外国語)能力というと、ちまたでよく耳にするのが、
国語(日本語)能力が低いと外国語能力も低い、という意見です。
つまり、母国語がイマイチだと、外国語を学んでも伸びない、ということですが、
これは本当でしょうか。
結論から言うと、私は、「そんなことはない」と思います。
国語力、つまり母国語の知識がそれほど高くなくても、外国語はマスターできます。
これは、日本語を母国語とする人によく見られる傾向なのですが、
いくら日本語の語彙力が高く文法理解力が高くても、
他者とのコミュニケーション能力が低いと外国語習得は時間がかかります。
外国語習得にいちばん重要なのは、「多文化、異文化への興味」であり、
「未知のものへの好奇心」であり、「他者への共感」であると私は考えます。
自分とは違う世界の人たちが何を考え、どんなことに興味を持っているのか知りたい、
そういう人たちに自分が考えていることを伝えたい。
そういう思いが強い人は、バックグラウンドがどうであれ、外国語習得は早いのです。
言葉はコミュニケーションの手段です。
英語ができるようになることが目的ではありません。
もちろん、学問として英語を学ぼうという人もいるでしょう。
けれども、言葉とは生活であり文化であると私は思います。
ヒトがサルと違う点は、この言語能力という点に尽きます。
人間は、友情を育み、愛を育てるために言語能力を発達させてきたのです。
なので、人に興味のない人はその分語学マスターにおいてハンデがあると思います。
学習意欲云々というより、単純に知らない国に行ってみたい、
その地で出会う人たちと仲良くなりたい、コミュニケーションを取りたい。
そういう情熱の強い人であれば、元々の日本語能力はさして関係ありません。
何度も繰り返すようですが、言葉は使うためにあります。
テストで良い点を取るためでもなければ、履歴書にスコアを書くためでもありません。
もちろん、それを目標に勉強することは間違いではないし、否定はしませんが、
英語をあくまでも学問の一環として捉える必要は、実はないのではないかと思っています。
知らない文化に触れる楽しさ、世界が広がるワクワク感。
これを体験できることこそ、外国語の醍醐味だと思うからです。
あまり気を張らず、楽しく英語に接してみてはいかがでしょう?
言葉って人と人を繋ぐカギだよね
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英語力は国語力?
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英語が公用化されてるようですね。
あのフランスでさえも。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100831/216047/
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昨日 受けました
今は フランス行っても英語さえ喋れば、楽チン
しかし パリ周辺かな田舎は やはりフランス語ですね
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>のびたろうさ
ヨーロッパはまだまだ英語の通じないところもありますが、
ホワイトカラーや観光業(ホテルや土産物やなど)に付く人はみな、大抵英語を話します。
そこが日本との差でしょうか。
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>かずこちゃんさん
息子さんは、めざせ900点、でしたよね?
結果はどうだったのでしょう?
またこっそり教えてくださいね('-^*)/
フランス人、私の知り合いはみんな流暢に英語を話しますが、
田舎の普通のおじさんおばさんは違うんでしょうね・・・
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外国語習得にいちばん重要なのは、「多文化、異文化への興味」であり、
「未知のものへの好奇心」であり、「他者への共感」である
全く同感です。語学学習の一番大事な燃料ですよね。
これがなくてはどんな高性能な車でも走らないし、
逆に燃料さえあれば少々難ありの
車でも行きたいところにいける。
履歴書に書くため、昇進や転職のため、
色々あるでしょうが、私は英語を学ぶことで
心の財産(うまく言えませんが)が少しでも
豊かに、深くなるのが嬉しくて細々と
勉強をしています。
いつもYumiさんのブログを楽しみにしています。
あまり無理せずにご自愛ください。
そろそろ夏の疲れが出る頃ですもんね。
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>sakurabluesさん
お気づかい、ありがとうございます(=⌒▽⌒=)
私は、英語を勉強する目的は人それぞれだと思うし、
別にゲーム感覚でテストのスコアを上げたいとか、
そういうモチベーションを否定しているわけではないんです。
ただ、語学=学習=何か学ぶものがないといけない、アカデミックでなければいけない、
という構図が、どうも日本人のメンタリティーを縛りつけているような気がするんですね。
こういうのって、日本の教育システムの弊害だと思うわけです。
たとえば、スポーツですら、根性&辛抱がつきもの=真面目に取り組むもの、
という図式ができあがっているでしょう?
スポーツなんて遊び、playですよ。
学者や教師を目指す人はさておき(本当はそういう人にも)、
言葉の持つ本来の可能性というか、狭い鎖国状態から抜け出す第一歩というか、
そういう広い視野で楽しんでもらえたらいいのになぁ、
と思うことが多くて、こういう記事を書きました。
共感していただき、とてもうれしいです(≡^∇^≡)