15年ぶりくらいに、リュック・ベッソンの『レオン』を見ました。
フランス映画というと、私は基本的にヌーベルヴァーグが嫌いなんですね。
せっかくお金を出して、このせちがらい現実から逃避してうっとりしたいと思っているのに、
現実以上に受け入れがたい現実や、醜悪なものを見せつけてくる。
ロマンスにせよ、小汚い中年男とギスギスと筋張ったちっともセクシーじゃない女が、
なんだかわけのわからない形而上学的な会話を繰り返すばかり。
こんなん見たないわ~~~と、年とともにヨーロッパ映画全体から遠のいてしまいました。
中でも、特に私が受け付けないのが、リュック・ベッソンの描く世界観なのです。
彼が描くのは、いつも精神的に自立できない社会不適合者の中年男の物語なんですよ。
何らかの心の傷や不幸な生い立ちのせいで、この中年男は大人の女が受け付けない。
精神状態が、どこか子供のまま止まってるんですね。
レオンでは主役の中年男(殺し屋)を、ジャン・レノが演じています
そんな中年男が出会うのは、いつも決まって少女なんです。
大人の女じゃない。
このパターンが本当に多いんですね、リュック・ベッソンは。
ロリータ願望とでも言うんでしょうかね、そこが女性の側から見ていると気持ち悪いんです。
少女が出てこなくても、根底に流れているのは同じ色なんですね。
たとえば、『グラン・ブルー』もそうで、少女は出てこないですが、
これは、現実の恋人(大人の女)を拒絶して、男友達と海へ逃避する男の物語でした。
その関係性は少しホモセクシュアル的でもあります。
とにかく、ベッソンの女性の扱いというか、描き方が嫌いなんです。
中年男には同情的なのに、女には容赦がないんですよ、彼は。
まるで悪の権化のような扱い(笑)
それが耐えがたくて、ウンザリしてしまうんですね。
で、やっぱり中年男も中年女も冴えないルックスなんですよ。
その分、逃避の対象である海は驚くほど美しい映像で撮られていて、そのギャップがまた悲しい。
他全てが冴えない、むさ苦しい役者で固めているのに、
逃避対象であるヒロインの少女だけは、美少女を使うんですね。
『ニキータ』も『ジャンヌ・ダルク』も全部そうでした。
そこがまたロリータっぽくて気持ちが悪い。
だから、私はこの監督の作品はもう見ない、と心に誓っていたんですが・・・
たまたまもう一度見てしまいまして。
で、久しぶりに見て、自分でも物凄く驚いたんですが、
なんと、私はこの主役の殺し屋に感情移入して見ていたんですよ。
本当にビックリです。
こんな冴えない中年のオッサンに、しかも殺し屋ですよ、私とは何の接点もないはずの、
ジャン・レノ扮する中年男に、私は自分を重ねていたんですね。
いやぁ、恐ろしい・・・
年を取るというのは、こういうことを言うんでしょうか。
あまりに衝撃で、友人にこの話をしたら、そういうことはよくあることだと。
女は、年を取るとオッサンになっていくのだと言われ、これまたダブルでショックでした(苦笑)
なるほどね、オッサンなのね、私も。
とりとめのない日記で失礼しました。
まともな映画批評だと思って読まれた方、申し訳ありません。
以上、オッサン中年女の戯言でした(笑)
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ジャン・レノを見て思う
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