イングリッシュブートキャンプ:由美です。
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日本人が英語を習得するのに、足枷になっているものの一つとして、
“プライドの高さ”があると思います。
これまで繰り返し述べてきていることですが、言葉はしゃべらない限り、上達しません。
それは、練習しないとゴルフが上達しないのと、まったく同じです。
何度も失敗しながら、どこがまずかったのか、何が失敗の原因なのかを考えつつ、
しつこく練習を続けることで、ゴルフにせよギターにせよ、だんだん上手くなるわけですよね。
ところが、ここで問題となってくるのが、「プライド」です。
これは、昔から不思議に思っていることなのですが、
スポーツの場合、プライドが邪魔するということが、まずほとんどないんですね。
みなさん、たとえ人前で転んでも、骨折してさえも、平気で続けますよね?
「ああ、友達の前で空振りしてしまった。大恥をかいた。二度とテニスなんかしない」
「波にうまく乗れず水中に放り出されてしまった。赤っ恥だ。二度とサーフィンなどするものか」
「またOBだ。恥の上塗りだ。二度とゴルフなんぞしないぞ」
というような人に、お目にかかったことがないんですよ、私(笑)
で、自分のことに照らし合わせてみると、私がまさにこのタイプなんです。
ボーリングに行っても、ボールが真直ぐ進まずガター。
あと、投げる時のフォームが、なんだか不格好で、人前でそんな不格好をさらすのが、
どうもみっともなくて、嫌なんです。
だからちっとも楽しめない。
ダメだったときの、あのみんなの「ドンマイ♪」みたいな励ましも、すごくイヤ(笑)
ああ、やっぱりボーリング場なんかに、来なきゃよかった・・・
とブルーな気分になってしまいます。
だから私は、ちっともスポーツが上達しないんですね(爆)
そして、これと全く同じことが、語学にも言えると思います。
私は、英語を話していて途中で詰まったり、間違えたりしても、ちっとも恥ずかしくありません。
だって、別に無様な格好をさらすわけでも、尻もちついたり空振りしたりするわけでもなく、
単に言葉が出てこなかったり、言い間違えたりするだけでしょう?
私からすれば、人前でずっこけたりするほうが、よっぽど耐えられません。
でも、世の中の多くの方が、私とは感覚が反対のようなんですよ。
スポーツで失敗しても、ちっとも気にしない。
それどころか、「よ~し、次はちゃんと投げるぞっ!」と、ポジティブに思える。
だから多くの方は、ある程度まで(楽しめる程度に)なら、スポーツが上達するのでしょう。
ところが英語となると、多くの方が失敗するとそこでめげてしまう。
ちょっとしたミスでも、みんな貝のように口を閉ざしてしまう。
だから、そこそこコミュニケーションが取れるレベル、というところまで達しない。
私からすると、人前で無様にガター出す方が、英語を話していてミスするより、
よほどプライドが傷つくと思うのですが、世の中の大半の人は、そうではないようです(笑)
面白いことに、これが英語ではなく中国語の場合は、そうでもなかったりするんですね。
第2外国語を勉強している人は、間違いを恐れず、積極的に話そうとしますね。
それはおそらく、英語と違って、メジャーな言語ではないという安心感が、あるからでしょう。
たとえ間違えても、その間違いを指摘できる人は、まだまだ少ない。
その言語を話せる人が、自分以外にほとんどいない。
だから、気にせずどんどん話すことができる。
けれども、英語の場合は、ある程度みんなわかるから、人前で失敗したくない。
そういう気持ちが、邪魔してしまうのだと思います。
それと、これはひとえに受験の弊害ではないか、学校教育の弊害ではないか、と思うのが、
英語は主要五教科に入っていて、偏差値や受験にもろに影響する、主な科目であること。
つまり、英語=お勉強であって、英語ができる=頭が良い、というように、
子供の頃から刷り込まれているせいで、間違うことを恐れるのではないか。
これがスポーツなら、遊びの延長だから、別に失敗してもちょっとカッコ悪いくらいで済む。
でも英語は、失敗することすなわち、知的レベルが低い(バカだ)と思われるかも、という、
無意識のバリヤー(私はこれを、メンタルバリヤーと呼んでいます)が、存在しています。
もしもあなたが、人前で恥をかきたくない、と思っているのであれば、
そういうプライドは、この際きれいさっぱり捨て去りましょう。
英語(語学)は、勉強というよりはむしろ、スポーツや楽器と同じです。
語学ができることと、頭の良さは、ほとんど関係がありません。
あなたが無様につまづこうが、転ぼうが、はたまたガターを出そうが、
他の人は大して気にもしていませんし、あなたにそこまで注目もしていませんよね?
英語に関しても、それは同じです。
だから、邪魔にしかならないプライドは、捨ててしまいましょう。
恥をかけばかいた分だけ、上達するんですよ。
それが、語学習得の近道です。
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日本人の前ですごく恥ずかしいと思った失敗なんてありますか。
自分のエピソードをお話しようと考えてみたんですが、思い浮かばないなんて、ボケて来たんでしょうか私?
話す機会が減っているとそういう場面さえ出てきません(;_;)
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私もそう思います。私もゴルフで打ったボールがすっとんきょうな所へ飛んで行くほうが、よっぽど恥ずかしいです。。。
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いわゆる「達人」の人は「たくさん間違えて覚えた」とおっしゃってますよね☆
テストが減点主義だからですかね?
あと、出来ない人が「君の英語はだね」と評論するのもおかしな話ですよね(-.-#)
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恥をかくほど上達する・・ほんまですね、この言葉、深いです。
確かにプライドが邪魔しているというのは最近私も思っていて、英会話スクールでも「え、こんなん間違えたらかなりあほやん」とか思って言えなかったりして。で、それがあたっていたりします(^^; なのでもうなんと思われようがいいや、と最近ばんばん言うようにしています!
わからないからスクールにきているのわけですしね。
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>漆薔薇 ひばりさん
英語を話していて恥ずかしいと思ったことはないですね。
子どもの頃から高校生くらいまでずっと、ピアノをやっていましたが、
発表会で大失敗しても、悔しいと思ったことはありますが、
恥ずかしいと思ったことは一度もありません。
それより、ボーリングでガーター出すほうがよっぽど恥ずかしいです(^_^;)
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>カオリンさん
なぜでしょうね。
本当に不思議です。
やっぱり、英語=主要五科目、間違い=劣等生という、
劣等意識が中高時代に刷り込まれてしまうからでしょうか。
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>Rainyさん
ですよねぇ~?
私も、そっちのほうがよっぽど恥ずかしいですよ。
でも、世の中の大半の人がその逆のような気がします。
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>toshiringoさん
恥を捨てるのは、きっと大変なんだろうなと思います。
たとえば、私が人前で球技をするのと同じかなと。
運動神経ゼロ、特に球技が苦手な私は、体育の授業が苦痛でした。
今もし、テニスとかゴルフとかしなくちゃいけないとなったら、
きっとまともにボールが当たらないでしょうし、そのたびに恥ずかしい思いをするでしょう。
それを克服するのは精神的に大変だというのは、想像できます。
でもこれを克服しない限り、語学はマスターできません。
私がゴルフをまともにプレーできるようにはならないのと同じです(苦笑)
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プライドは捨てたほうがいいですね!
沢山失敗や恥かいたって話で 盛り上がりますし!
言ったつもりが違うの出てきたなど(笑)
ある程度の成功者は、失敗沢山してると思います。
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>ぴょん吉さん
失敗したら、次こそは~~~と執念に萌えて頑張るんです。
失敗は成功の元。
次に繋げる第一歩。
そう思って続けることだと、私は思いますo(^-^)o
確かに自分のプライドが邪魔をすることって、よくあります。面白さを感じる前にプライドが傷つくと、これが結構面倒です(笑)特に英語は言葉だから伝える相手の反応が大事。中学の頃、英語の授業で音読を当てられてクラスの皆に笑われて、それで英語が嫌いになったという友だちもいます。でも、もしそこで先生に誉められていたら?
もし由美先生が体育のソフトボールでセンター前にクリーンヒットを打っていたら?その後の人生は変わっていた…、かどうかはわかりませんが。^^;
英語に関しては、12、3歳という思春期の微妙な時期に学習し始める、
というのがネックになっていると思います。
もっと幼いころや、逆に大人になってからだと、人の目をあまり気にしませんから。
教室で鼻を噛むのも、トイレに行きたいと先生に言うのも恥ずかしい、
っていう年頃に、外国語をやるのは単一民族文化の日本人には厳しいです。
スポーツに関しては、幼児の頃からダメでした(笑)
近所の子と駆けっことかしてもいつも一人遅かったし、ボール遊びをしてもドン臭い。
みんなの「由美ちゃんが入るとしらける」というあの空気感が、
私をさらにスポーツから遠ざけたのかな、と思います(^_^;)