東京は今日は雨。
すっかり涼しくなり、秋の到来を感じます
さて、昨日、英語の自己紹介動画をメッセージボードにアップしたら、
さっそく『英語喉』の著者である上川一秋さんがご自身のブログでとりあげてくれました。
その記事のタイトルが、印象的なのでこちらでもご紹介します。
で、英語喋れるの?
この一言に、すべてが集約されているように思います。
ブログ記事で上川さんは、
ある英語指導者のかたが、たらたら、英語勉強論を述べているのを聞いていたのだが、
で?それやって、あなたは英語が喋れるのですか?と問いたくなる。
これを言ったらおしまいだと思う。でも、アンフェアである。
と述べています。
これは、私もここ最近同じように思っていたので、
思わず、そうそう!!と膝を打ってしまいました。
発音はさして重要ではない、という考え方は、昨今のELT業界でも広がりつつあります。
あ、ELTというのはEnglish Language Teachingの略です。
調子っぱずれの音程で歌う女性ボーカルのいるバンドのことではありません(笑)
この、発音やアクセント(訛り)を重視しないという動きは、
日本の英語教師が主張しがちな、「発音を気にしていたら日本人は英語が話せなくなる」
という考え方から来ているのではありません。
今や英語は世界共通語です。
一昔前は、英語はイギリスの言葉なんだから習得すべきはイギリス英語、
いやいや、もはや世界のリーダーはアメリカなのだからアメリカ英語、
というような議論がありましたが、それはナンセンスだということです。
英語を母国語とする、米、英、加、豪、新、などの他に、
いわゆる旧植民地圏の準ネイティブであるシンガポールやフィリピン、
また昨今目まぐるしい発展を遂げるインドなど、
あらゆる場所で英語は話されているのであり、それぞれのアクセントや表現がある。
こういう考え方を、global Englishesと言います。
最近流行りの言語学の分野のひとつなんですね。
北米英語、イギリス英語があるように、
シンガポール英語、インド英語が存在していいのだ、という考え方です。
けれども、日本人が英語を学ぶのに「発音は重視しなくてもいい」というのと、
こういったglobal Englishesの概念とは以て非なるものです。
そこに逃げ込んでしまったら、日本人はますます英語から遠ざかってしまうでしょう。
例えば、語彙が大切だということで、それはリスニングに効くのだというある企画が人気だと思うが、
じゃあ、その企画者さんに聞きたい。
で、そういうあなたは、英語きけるん?英語喋れるん?語彙増えたら、本当に英語聞ける????
上川さんのこの発言は、非常に勇気のいるものだと思うし、またまっとうな疑問だと思います。
たとえば、世の中にはたくさんの英語ブログがありますが、
そういったブログを見ていると、英語の勉強法や書籍の紹介などが書かれていますが、
当の著者本人が本当に英語ができるのか不明であることが多いのです。
この人本当に英語ができるのかな・・・
と思ったことは、私も何度もあります。
もちろん、ブログの内容にもよるんですけどね。
かなりの部分を英語で書いている人は、間違いなく話せるでしょう。
けれども、ちょっとしたポイント紹介や、どこかから引っ張ってきたんじゃないか、
と思うような記事でごまかしているような人も、案外いっぱいいるのです。
上川さんだけでなく、西宮の天満さんなども、
ご自身が英語を話している動画をアップされています。
他にも、音声ファイルをアップしている方もいらっしゃいますね。
そういったわけで、私も四苦八苦しつつ動画を上げました(笑)
だって、
「こんなこと書いてるけど、ホントにこの人英語喋れるのかな」
と思われるのは嫌ですから(笑)
発音はどうでもいい、英語で議論できればそれでいいのだ、というのは、
ある種のメンタルな逃げだと私は思います。
だったら、ブロークンでも文法めちゃくちゃでも何でもいい、通じたもん勝ちでしょ、
というのと同じです。
発音にこだわらず、高尚な議論ができれば良いという人と、
ブロークでもいいんじゃーーーという人は同類項です。
そう言うと、前者は激昂しそうですね(苦笑)
ともあれ、今回の上川さんのブログ記事に非常に共感しました。
発音は大事です。
どうせ英語マスターを目指すなら、正しい発声、発音を身につけようではありませんか。
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発音は重要ではない???
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全くその通りだと思う。
車の運転ができない(または下手くそ)なのに、教習所の講師をする人間はいない。
音痴の歌手・・・おっと、これは残念ながら日本にはいっぱいいるなあ。でも、カラオケ教室の先生はみんな歌上手いっしょ。
それと、泳げないスイミングコーチとか、そういうのはおらんわけで、英語だけがまともに話せなくても正式に教員免許を与えられるんだよね。考えてみればこれってめっちゃおかしいことやん。
こうして、ウェブサイトとかブログとか手軽にできる時代に、あえて自分の音声を公開しないってのは、「私は英語できませ~ん」と言ってるようなもんやと俺は思う。
さっき、上川さんのブログ見てきたよ。
よくぞ言ってくれた!って感じ。
正論を言うと日本人って引くよね。これもまた英語習得にブレーキがかかってる原因なんかな、とか思ったりするね。
動画、確かに暗いな。太陽光の下で撮ったらwww?
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>翔さん
おっしゃる通り、運転のできない教習所の教官や泳げないスイミングコーチと同じで、
英語の話せない英語教師ってのはありえないんだよね。
でも、それを言いだすと必ず反論が上がるの。
学校教育はそういう次元のものではない、
英語が話せれば英語教師になれるかというとそういう問題ではない、とかね。
英語が話せることは必要条件であって十分条件ではない。
そんな基本的なことがわからない、というかわかりたくない人があまりに多くて、ビックリするよ。
でもこれが日本の現状。
バッサリ斬る上川さんは素晴らしいと思いました。
太陽光の下ね、それ、友人にも同じこと言われた(笑)
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私はELTに対する辛口コメントの方が印象に残りました。www スミマセンwww
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>AKIさん
え、辛口でした?
客観的な事実を述べたまでです(苦笑)
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著者の上川さんのblogで仰っていること、Yumiさんなど日本人の英語力向上に情熱を持って取り組んである方々のblogを通して、「英語喉」を知るようになり、本当に面白いと思えています。自分自身の発声法が10代後半で変わり、英語の発音や歌うときの声の出し方が変化して、自分の声を録音してもそれまでより聞きやすかったり、広いところで話しても声が通るようになったのは、「喉が開いた」ということだったのだ、と納得できました。それ以前にエコーのかかったお風呂で歌っていても、後で家族から「歌が聞き苦しいからやめろ」と言われていましたが、喉が開いて以降は、苦情が出なかったのです!高校時代の通学バスの中で、エンジン音にかき消されていた自分の声が、エンジン音に負けなくなって、喋り続けられた、という出来事も覚えています(つまり喉が開くと、英語の発音だけではないメリットが色々あったわけですね。)
具体的にどういう風にして発声法が変わったかと言いますと、高校2年時に使用したある英会話教材の方法に従って、一文の音声を何度も(60回程・・初めの20回はただ聞いて;2セット目の20回は日本語の意味を見ながら聞いて;3セット目の20回は英語の文字を見ながら聞いてという方法)聞き続けてその後に自分の声を出した、という、ただそれだけのことでした。それも、この方法を継続して何回もしたわけではなく、2回目ぐらいで、自然にそうなったのでした。(この教材の会社名は伏せますが、Yumiさんはその業界にいらっしゃったので、お分かりになるかもしれませんね。)ようやく61回目の音声の後に続けて自分も発音するというのを勧めていて、それに一応素直に従ってみたわけです。その教材の吹き込み者の発音は高校生の私が聞いてもとても美しいアメリカ発音というのが分かりました61回目に初めて音を出してみた時、それまでとは違った音が出た事が自分でも分かったのでした。
但しこれは発音、発声法に関して私にとって有効だったわけで、その教材が自分の英会話力を高めるのに役立ったかというと否です。なぜなら、一文をくどいくらいに聞いてやっとこさ61回目で発音する、という方法を、せっかちな高校生は継続できませんでしたので。そして、この方法を、読者の方々にお勧めしようとも思いませんたまたま、自分にこういう経験があったと述べたまでですのであしからず。
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>dezizさん
参考になるお話、ありがとうございます☆
60回も聞くんですか!
それはすごい・・・
確かに、継続さえできれば力はつきそうですね。
ただ現実問題として、60回もひたすら聞き続けることができる人って、
ほとんどいないんじゃないでしょうかねぇ・・・
それができる人は、相当根性のある人ですよ(笑)
英語喉は、できている人が読むと「ああ、そういうことだったのか」と、納得できる。
dezizさんもそうでしょうけど、私もそうでした。
自分がずっと思っていたことを言語化してくれているのが、英語喉で、
特にゲップエリアの説明のくだりが、eye openingですね。
あと、dezizさんのコメントを読んで今さらながら再認識したのが、
やはり英語を話す方は若い(高校生とか)頃から色々やってるのだな、ということです。
続けるしかないんですよね、語学学習って。
改めてそう思いました。